親であるということ

KAYO

2011年06月11日 10:17

わが子が不登校になって、子育てについて、親であるということにつて考えさせられました。
いろいろな人や本や考えに出会ってきました。

その中で、何度となく目にする詩があります。



あなたの子どもたちは、あなたの子どもではありません。
彼らは生命が、みずからを待ちこがれて生みだした息子、娘たちなのです。
子どもたちはあなたを通して生まれてきたけれど、
あなたが生みだしたのではありません。
あなたと一緒にいますが、あなたのものではありません。
あなたは子どもたちに愛を与えるかもしれませんが、
あなたの思考を与えるわけではありません。
なぜなら、子どもたちには子どもたち自身の思考があるからです。
あなたは子どもたちの肉体を宿すかもしれませんが、
子どもたちの魂を宿すわけではありません。
なぜなら、子どもたちの魂が宿っているのは明日の家、
あなたが夢の中でも訪れることのない場所だからです。
あなたが子どもたちのようになろうと努力することはあるでしょうが、
子どもたちをあなたのようにはしないように。
あなたあ弓であり、あなたの子どもはそこから放たれる、命ある矢なのです。
弓であるあなたが、引き手によって、喜びのうちに曲げられますように。
       ―『預言者』カリール・ジブラン




今回は「インディゴ・チルドレン」という本の扉に書かれていました。

YOUの会報でも2回紹介しています。

先日のYOUの定例会でも紹介しました。



この詩を見るたびに、感じるものが違います。

初めは、親と子の関係に気づかされました。
次には、親である私は引き手(大いなるもの)によって引かれ曲がることを喜ぼうと思いました。
今回は、この子の親になれたことを、親として選んでもらえたことをうれしく思っている私がいます。

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