2013年02月20日
『わたし』は『悲しい』
悲しいとき、
①『わたしは悲しい』
って言いますか?
②『わたしは悲しみを感じている』
って言いますか?
二つの言い方。
言いながら感じてみると違いがあることに気がつきます。
私はこの話を聞いたときに
びっくりしました。
言い方を変えるだけでなんだか違うのです。
①のように
『わたしは悲しい』と言うと
『わたし』=『悲しい』
となって、
私が悲しみそのものになってしまいます。
あるいは私と悲しみの大きさが等しくなっているか
悲しみのほうが大きくなっていきます。
悲しみの中に浸っている
あるいは
悲しみの渦の中にいるような感じさえしてくるのです。
一方②のように
『わたしは悲しみを感じている』
と言えば
『わたし』≠『悲しみ』
となって
わたしと悲しみは別のもの。
そして、
悲しみはわたしから出てきて
わたしの手の中にあるように感じられるではありませんか。
もしどんなに大きな悲しみであっても
自分を見失うことはありません。
『私は(感情)を感じている。』
この言い方を、
私は意識して使ってみるようにしています。
①『わたしは悲しい』
って言いますか?
②『わたしは悲しみを感じている』
って言いますか?
二つの言い方。
言いながら感じてみると違いがあることに気がつきます。
私はこの話を聞いたときに
びっくりしました。
言い方を変えるだけでなんだか違うのです。
①のように
『わたしは悲しい』と言うと
『わたし』=『悲しい』
となって、
私が悲しみそのものになってしまいます。
あるいは私と悲しみの大きさが等しくなっているか
悲しみのほうが大きくなっていきます。
悲しみの中に浸っている
あるいは
悲しみの渦の中にいるような感じさえしてくるのです。
一方②のように
『わたしは悲しみを感じている』
と言えば
『わたし』≠『悲しみ』
となって
わたしと悲しみは別のもの。
そして、
悲しみはわたしから出てきて
わたしの手の中にあるように感じられるではありませんか。
もしどんなに大きな悲しみであっても
自分を見失うことはありません。
『私は(感情)を感じている。』
この言い方を、
私は意識して使ってみるようにしています。
Posted by KAYO at 14:45│Comments(2)
│言葉
この記事へのコメント
この言葉、私が一番苦しかったときに佳代さんからいただいた言葉です。
あのときは救われました、ありがとう。
そんなことがあって今の私があります。
苦しいとき、悲しいとき、その感情に飲み込まれずに斜め上から自分をみつめ、慈しむ私がいて「あなたは、よくやっているよ」とほめています。
あのときは救われました、ありがとう。
そんなことがあって今の私があります。
苦しいとき、悲しいとき、その感情に飲み込まれずに斜め上から自分をみつめ、慈しむ私がいて「あなたは、よくやっているよ」とほめています。
Posted by さだ at 2013年02月22日 08:25
さださん、コメントに気づかずにいました。ごめんなさい。
これ知っているだけで、ホッとしますよね。
これ知っているだけで、ホッとしますよね。
Posted by KAYO at 2013年05月06日 11:20